『岩手のアイヌ語地名』
アイヌの昔話紹介の記事では川を舞台にした昔話が多いと紹介した。つまりそれだけアイヌの生活が川と密着していたことが裏づけられたのだが、実際、北海道の地名総数の2割が「ナイ(川)」地名である。

この『岩手のアイヌ語地名』は東北のアイヌ語地名を調べた既存文献の中では随一のもので、岩手を中心に、東北全体のベツ(川)地名、ウシ(~処)地名、マイ(~有る所)地名を解説している。そして、それら地名が本当にアイヌ語であるかどうかについて、両論を併記しながら検証しており、内容のバランスが取れている。
アイヌ語地名の研究分野では、大胆ずきる解釈に走る文献に目にすることもあるが、この書籍にはそのような危うさが無く、東北のアイヌ語地名を研究する者にとって良いテキストとなる。
アイヌ語地名に関する既存の文献で最も信頼がおけるものとして山田秀三が著した「アイヌ語地名」シリーズであるが、彼の成果が優れているのは、地名を解く際に、言語解釈だけによらず、それら土地を丹念に歩き回り、そして地形の特徴を検証したうえでアイヌ語地名を解いていったことにある。
アイヌ語地名が、その土地々の地形を説明したものであるため、地形からも地名を検証することが可能だったわけだが、山田秀三自身が鉱山官庁の官吏だったので、地名を読みとる専門的視野を有していた。言語解釈、地形条件といった、なんらかの複数要素から対象を眺めることで、真実の程度が検証できる。これは、測量で言うところの閉合差と良く似た考えである。
しかし、これだけ綿密な調査検証を行うわけであるから、東北のアイヌ語地名について、全て検証するというわけにはいかなかったようだ。これを補完する意味でも『岩手のアイヌ語地名』は重要な成果と言える。
この著書では、オサナイ、トヨマナイ、タッコウなどお馴染みのアイヌ語地名についても一つ々、ほんとうにそれがアイヌ語なのかどうかを検証し、そして金田一京助、知里真志保、山田秀三といった巨匠の各論を併記しながら、より精細な解を求めている。
もう少し内容を紹介してみる。
「余り簡潔な語形で、どうにでもとれ、決定的な解がない」
と金田一京助が、その解の困難さを教えたのが、岩手県北部から青森県八戸市に注ぐ馬淵川(マベチ)である。語尾「ベチ」だから、これがアイヌ語の「ベッ=川(ナイより大きな川)」であろうことは直感的に理解できる。しかし、マベチの「マ」をどう解くかが難敵となった。この「マ」人文字の解釈を巡り地元の方言や歴史が考察され、金田一京助や知里真志による解を再確認し、北海道の類似地名からも類推してみる。
そして地形を検証するわけだが、馬淵川は県をまたいで流れる一級河川であり、その様相も場所々により異なるのだ。しかしながら、下流、中流、上流、それぞれの場所で、それぞれの「マ」の解釈が可能だから、アイヌ語解は手に負えなくなる。
結局、これといった決定打が無いまま検証は終わるが、これで良いのであろう。一筋縄で解けるはずがないものを無理に解く必要などない。そこに謎が残っているからこそ、後に続く者も出てくるのである。
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