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坂上田村麻呂伝説 


 「火怨」の主人公、蝦夷の英雄、アテルイは征夷大将軍の坂上田村麻呂に倒された。そして、征伐された側の地には、この坂上田村麻呂にまつわる伝説が数多く残る。その多くは、必ずしも史実を基に形成されたものではないが、貴重な歴史資料になりうるのであろう。
 なぜなら史実でないからこそ、そのような伝説の形成過程を考察すれば、おのずから、その当時の時代背景を推測することが可能になるからだ。

 今回紹介する『坂上田村麻呂伝説』では、東北各地に残る田村麻呂伝説や、それが形成された背景などをわかりやすく紹介している。坂上田村麻呂にまつわる伝説として、その出生を夷人とする説や、悪路王、大武丸などの征伐伝説、あるいは悪玉姫を母とする伝説などがある。以下『坂上田村麻呂伝説』からそれぞれの伝説を解釈してみる。

 まずは夷人説であるが、史実において、坂上田村麻呂の系譜は明らかに渡来系(半島・大陸系)に求められる。にも関わらず、夷人説(蝦夷系)がとなえられたのは田村麻呂の蝦夷征伐から時代を経て再び朝廷と蝦夷(安倍氏)の抗争が始まった前九年後三年の役の頃で、田村麻呂に蝦夷との縁をもたせることで、朝廷側の征伐軍に正当性をもたせようとする意図が働いたらしい。このことは各地の伝説からうかがい知ることができる。

 次に、悪路王や大武丸伝説だが、これらは田村麻呂に征伐された山賊として登場する。一説にはアテルイを伝えた伝説とも言われるが、この伝説が形成されたのは鎌倉時代、頼朝による奥州征伐の後のことである。この征伐は「坂上田村麻呂の征伐」、「前九年後三年の役」に続く、最終的な蝦夷征伐とも解釈できる。これにより蝦夷の地、陸奥は鎌倉武士団に割譲され、権威、権力とも大和の系統に取り込まれることとなった。

 悪路王伝説は室町期に成立した『田村草子』をオリジナルとして発展したようだが、東北各地の寺社には、この伝説にまつわるものが多い。これは自説となるが、頼朝の奥州征伐より以前、陸奥各地には栄華を誇った平泉の恩恵に授かる寺社が多かった。そして奥州征伐後、鎌倉政権による取り壊しを逃れるため、悪路王伝説を利用したのではないだろうか?

 例えば、「この社は悪路王を征伐するため、時の大将軍坂上田村麻呂公が勧請した社なるぞ。」といったようにである。あるいは奥州征伐後に勧請した神社が、伝統的権威を高めるため、このような伝説を利用したことも考えられる。これに、後の『田村草子』がくっついて、各地に伝わる悪路王伝説の様々なバージョンが形成されていったのではないかと思えるのである。

 最後に悪玉姫伝説である。この姫は田村麻呂の生みの母として伝えられることが多いが、やはり『田村草子』にその原典が求められ、悪路王伝説と対を為す。
 一連の坂上田村麻呂伝説は発展していき、征伐の対象も悪路王からさらにパワーアップした大武丸に変わっていったが、これに伴い坂上田村麻呂にも相応の霊力を持たせねばならなくなってきた。そして登場したのが悪玉姫であると『坂上田村麻呂伝説』は解いている。この伝説では、霊力を感じさせる悪玉姫から田村麻呂が生まれたとし、その言い伝えが各地に残されている。

 以上、坂上田村麻呂にまつわる伝説は頼朝の奥州征伐後、陸奥における新たな権威や権力を再編成する過程で生まれたものであったようで、奈良~平安の「蝦夷時代」から時代を経た後の伝説と言える。ただし、ひっかかりもある。

 それは、悪玉姫や悪路王(秋田県の山本郡では阿計徒丸、阿計志丸、阿計留丸と伝えられる)などの名称が、各地の残るアイヌ語地名とも関係しそうな感じを受けるからである。 
 それがどういう意味を持つかと言えば、アイヌ語地名が「生きた地名」として語られていた蝦夷の時代、この頃から伝わる各地の説話に、『田村草子』をオリジナルとした坂上田村麻呂伝説が結びついていったのではないかとの思いである・・・

 が、これを検証するためは、私の見聞は足りな過ぎる。「ロードオブエミシ」の旅は、まだまだこれからも続くのである。


sakanouetamuramarolegend.jpg

『坂上田村麻呂伝説』


著者:大塚徳郎
出版:宝文堂(昭和55年11月1日 発行)
目次:
 一 田村麻呂の実像
 二 伝説の田村麻呂像
 三 田村麻呂伝説のひろがり



[トピック:達谷の窟(岩手県平泉町)]


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 蝦夷の首領悪路王がここに住みつき、民に悪事を働き苦しめていたのを坂上田村麻呂が毘沙門天の加護を得て成敗し、鞍馬寺から毘沙門天を勧請したのが達谷の窟の始まりとされる。
 成敗された悪路王はアテルイとされるが、もう少し別の説もあるようだ。この「達谷の窟」の「たっこ」はアイヌ語で「独立丘」とも解される。坂上田村麻呂伝説とは別の、秘められた歴史があるのかもしれない。

   達谷窟毘沙門堂



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カテゴリ : 蝦夷の記憶
2013-01-06(Sun) | コメント : 0 | トラックバック : 0

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