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多賀城と蝦夷 

 多賀城を蝦夷との関係で述べるならば、律令制下の奈良時代、未だまつわらぬ蝦夷の地への進出の足がかりとして、大和政権が置いた城が多賀城であることは改めて説明するまでもない。


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多賀城政庁跡




 大和政権は成立間もない頃から東に向け版図を広げた。それはアメリカの西部開拓やロシアのシベリア進出にも似て、拠点ごとに柵を設け進出する方法であり、そしてまた太平洋戦争の米軍の如く、飛び石により柵を東進させた。
 その延長線にあったのが多賀城であり、その意味で言うならば、多賀城は単なる大和政権東進の一拠点にしか過ぎない。
 しかし、多賀城が東北の歴史に深く刻まれることになったのは、そこが大和と蝦夷の激しい争奪ラインとなったからである。奈良時代初期まで順調とも思える大和政権の東進は、このラインに来て、ついに停滞するに至った。

 青森、岩手、秋田には数多くのアイヌ語地名が残るが、このような地名は宮城県北部からちらほら出現してくる。どうも、宮城県北部付近には、ある種、なんらかの文化的境界ラインが形成されたようであり、そのラインの大和側最前線に多賀城があった。

 以下、多賀城を中心とする大和政権と蝦夷の抗争の年譜を記してみる。

709 陸奥蝦夷叛乱、陸奥鎮東将軍とし巨勢朝臣麻呂が派遣されるも殺害される。
712 「最上郡」が初見
714 陸奥国に丹取郡(現:宮城県大崎地方と比定)を建置
717 それまでに陸奥国は柴田・名取・宮城・志太・黒川・加美・玉造等の諸郡を管轄との記述あり
720 陸奥蝦夷の叛乱、按察使毛野朝臣広人が派遣されるも殺害される。
724 海道蝦夷の叛乱で佐伯宿彌児屋朝麻呂が殺害される。
724 陸奥国府、郡山遺跡(現:仙台市太白区)より多賀城に移転。臨時の征夷官職が常駐鎮守府将軍となり、大野東人が任じられる。
728 兵站機能として多賀城の南に白河軍団を置き、北に丹取軍団改称の玉造軍団を置く。
737 大野東人、関東6ヶ国精鋭196騎、鎮兵499人、陸奥国兵5000人、帰順蝦夷249人を率い色麻柵を経由し、奥羽山脈を横断遠征、男勝村を帰順させる。
739 大野東人、参議に任ぜられ多賀城を去る
758 桃生城、雄勝城(現:宮城県石巻市)造営
762 藤原恵美朝狩により多賀城修繕
767 伊治城造営(現:宮城県栗原市築館)
770 帰服蝦夷の宇漢迷公宇屈波宇ら賊地に逃走し反抗姿勢を示す。
770 黒川・賀美など11郡の俘囚3920人から俘囚の名を除き、調庸を納めるとの申し出あり認可
775 宇漢迷公宇屈波宇ら桃生城の城郭を破壊。
775 夏から秋にわたり陸奥蝦夷の騒動が続く、民は城塞にこもり田畑荒廃。
777 俘囚出身の伊治公呰麻呂、出羽国志波村(現:岩手県紫波地方)の蝦夷征討に功を上げ.る。
779 伊治公呰麻呂、外従五位下に任じられる。
780 伊治呰麻呂、陸奥按察使の紀広純を伊治城にて殺害し多賀城を焼き討ち。これを「宝亀の乱」と言う。藤原継縄が征東大使に任ぜられ、鎮圧にあたるも志気振るわず罷免。
781 藤原小黒麻呂が持節征東大使に任ぜられ2千の兵を率いるも蝦夷軍優勢で解散、しかし伊佐西古、諸絞、八十島、乙代ら賊の首をあげる。
 度重なる兵役により諸国百姓は疲弊、田植え免除の措置が取られる。
789 紀古佐美率いる官軍が、蝦夷側首領、阿弖流爲(アテルイ)軍により大敗。これを「巣伏の戦い」と言う。
793 坂上田村麻呂が副将軍ながら蝦夷征伐に功をあげる。
796 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられる。
802 坂上田村麻呂の蝦夷討伐により阿弖利為と母礼等500余人が降伏。戦線は移動し、鎮守府が多賀城から胆沢城(岩手県奥州市)に移動。
803 坂上田村麻呂、志波城(現:岩手県盛岡市)造営。
804 坂上田村麻呂、征夷大将軍に再任され三度めの遠征を期すも民の負担過大にて中止。
 この年、「武藤・上総・下総・常陸・上野・下野・陸奥国、糒14315斛陸奥国小田郡中山柵(現:宮城県涌谷町に比定)に運び蝦夷を征す」とある。
869 陸奥国大地震、多賀城も被害多く、この後復興するも十世紀後半頃までに放置され、次第に崩壊。


 多賀城が置かれたのが724年、そして大和政権の軍事拠点が多賀城から胆沢城に移動したのが802年、おおよそ80年近く、多賀城は、蝦夷討伐の拠点であり続けた。
 最終的に大和政権は岩手中部まで東進の歩を進めたが、804年の征夷中止にも見られるように、それは一時的なものであって、北東北の蝦夷は実質的自治権を勝ち取ったようである。これがその後の平泉文化につながっていく。


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多賀城政庁跡(外郭東門)




【記:平成21年11月9日】
【本ブログ転載:平成22年12月11日】




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カテゴリ : 蝦夷の歴史
2010-12-11(Sat) | コメント : 0 | トラックバック : 0

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