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朝比奈三郎の時代 

 前回記事で、朝比奈三郎は実在の人物だと記しましたが、その時代の年譜を以下のように記してみました。






1176年 朝比奈義秀(三郎)出生する。

1189年9月
 奥州合戦起こる。鎌倉幕府により奥州藤原氏滅亡

1192年7月
 源頼朝、征夷大将軍任命

1199年1月
 将軍源頼朝死去した後、源頼家が2代将軍となる。その後、御家人間の争いが続き、梶原景時、比企能員、畠山重忠らが滅ぶ。

1200年9月
 将軍源頼家が船で酒宴を催し、義秀に芸を見せるよう命ずる。義秀は海に飛び込み10回往還、さらに海に潜り三匹の鮫を抱きかかえ浮かび大力を示す。頼家は、その技を賞して奥州産の名馬を賜おうとするも、それを以前より所望していた兄と相撲対決となる。しかし勝敗決せず、北条義時の仲裁で引き分け。

1203年9月
 比企能員の変により頼家が将軍職を追われる。

1203年9月
 頼家が死去したと北条政子が偽り、子の源頼家が3代将軍となる。

1204年8月
 幽閉された2代将軍頼家が暗殺

1213年5月
 執権北条義時の度重なる挑発に父の義盛が挙兵を決意。一族150騎の和田勢を率い鎌倉の将軍御所を襲撃。これに加勢した義秀は御家人を次々に斬り伏せ、北条朝時を負傷させ、さらに足利義氏を蹴散らすなど奮戦するも和田勢は疲労し退く。

1214年3月
 横山党の来援を得た和田勢は幕府軍と激戦。またも義秀は幕府軍を蹴散らし奮戦するが、次々と繰り出す幕府軍の大軍に及ばず、兄の義直が討たれ、父の義盛も討ち取られ、義秀はやむなく船6艘に残余500騎を乗せて所領の安房国へ脱出。その後の消息は不明。

1219年1月
 源実朝が暗殺

1221年7月
 承久の乱後鳥羽上皇が鎌倉幕府討幕の兵を挙げるも敗れ、朝廷の権力は制限される。

1232年
 御成敗式目が制定される。これにより地方武士の土地所有が安定し、全国的に開墾がすすんだ。


※ 朝比奈の苗字は安房国朝夷郡を領地としたことに由来する。
※ 『和田系図』によると朝比奈義秀は和田合戦後、高麗へ逃れたとしている。







 この年譜だけでは、なかなか朝比奈三郎と七ツ森のある宮城県黒川地方との関係が見えてきませんが、一つ気になるのは、1200年に朝比奈三郎が水泳の芸を見せた褒美に与えられたのが奥州産名馬であること。

 奥州だからといって、それが直接、黒川地方に結びつくわけではありませんが、かろうじて朝比奈三郎と黒川地方のある奥州の関係が見いだせます。

 そしてもう一つは、1232年の御成敗式目以降、地方武士の土地所有が安定し、それにより全国的に開墾がすすんだこと。

 これは、前回記事で書いたように、朝比奈三郎伝説は、治水治山が行われ、地元に富をもたらしたことが基にあろだろうことと関係してきそうです。

 それにしても和田合戦後、朝比奈三郎はどこに落ち延びたのでしょうか?









平成21年8月14日 
大和町悟渓寺橋から眺める吉田川と七ツ森

七ツ森のかすみ具合で、写真撮影の頃の気候が思い出されます。







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カテゴリ : 七ツ森
2010-07-17(Sat) | コメント : 0 | トラックバック : 0

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