春の訪れメニュー「ふきのとうパスタ」
福寿草が咲き、ふきのとうもちらほら出てきました。ライスフィールドの春の訪れは、「ふきのとうパスタ」から始まります。
春の息吹、食感で感じてみてくださいね!
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福寿草の輝き、春の訪れ
ライスフィールドの福寿草の花が咲きました。
写真は3月18日、昨年より一週間くらい早い開花ですね。
それにしても、福寿草はきれいです。
花弁一つ々が輝いて見えます。
自らもアイヌの出で、アイヌ文化の継承にご尽力された萱野茂氏は、福寿草を「純金の色」と表現し、アイヌでは最高の宝物を「福寿草の花の滴から掘り出したような」と表現すると伝えています。
穏やかな3月の陽射しに、福寿草は純金の色で春を告げています。
海外新聞が素材のクラフトバック
こんにちは、ライスフィールドのマスターです。
本日最後の紹介は、被災地支援グッズ、英字新聞のクラフトバッグです。
大崎市の岩出山で、復興支援にも取り組んでいます、海の手山の手ネットワーク」さんの作品です。
1個500円
どうか、みなさまご支援くださいませ!
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レトロなコンパス
こんにちは、ライスフィールドのマスターです。
続きまして、大航海時代、イギリスの船乗り達の必需品だった、レトロなコンパス。
とは言っても、バングラィッシュのレプリカですが・・・
さて、以下の器具は何に使うかわかりますか?
ヒントは以下の写真で右のほうに見える気泡、
たぶん業界の人ならわかるでしょう。
このほかにも、望遠鏡もあります。
どれも1個5千円で展示販売しています。
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竹細工のカゴ
こんにちは、ライスフィールドのマスターです。
お店で展示販売しいるグッズが、いろいろ増えてきたので紹介してみます。
まず最初は、竹細工のカゴ
[ 口径 13cm、厚さ 4cm ] 価格 800円
[ 口径 16cm、厚さ 5cm ] 価格 1,000円
[ 口径 23cm、厚さ 6cm ] 価格 1,300円
[ 口径 20cm、高さ 30cm ] 価格 2,100円
[ 口径 15cm、高さ 24cm ] 価格 1,800円
昔は、ちょっとした日常用品を手作りでまかなってましたが、今では、そのような「技」を受け継いだ人も少なくなりました。
展示販売している竹細工のカゴは、同じ色麻町の同級生のお父さんの手作り作品です。
興味のある方は、ライスフィールドにおこし下さい!
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ライスフィールドの自然素材グッズ
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案内の謎(4)「沢を降った先にあったもの」
案内を「反対側の沢」とした場合、そのような地名を名付けるべき基点は、小田原丘陵を挟み案内沢と反対側の場所となる。それを仮に泉区の市名坂付近とすれば、そこから案内川の向こう側にあったものは何だったのだろうか。
まず、思いつくものに多賀城がある。ただし市名坂からの方向で言えば、多賀城は小田原丘陵の反対側と言うよりも七北田川の下流端であり、必ずしもその行程に案内を経由する必要がない。むしろ案内への経由が必要となるのは、多賀城の前進であり仙台市郡山にあった陸奥国府であろう。
この国府は600年代半ばに築かれたようで、多賀城が開かれる724年まで国府として使われた。さらに近隣にある南小泉遺跡からは、弥生時代から古墳時代まで続く大集落跡が見つかっており、近隣の富沢遺跡からは大規模な水田跡も見つかっている。
つまり、この地域は相当古くから大和式の文化が及んでいたことが想像されるのであり、案内沢の向こう側には、大和文化の地があったと考えて良いわけだ。その意味でも「案内」は、最南端のアイヌ式ナイ地名であったのかもしれない。
遠見塚古墳 、宮城県仙台市若林区遠見塚にあり、南小泉遺跡に隣接する。4世紀末~5世紀初めに造られたと推定され、全長110mの前方後円墳である。名取市にある雷神山古墳と併せ、大型前方後円墳の限界線に位置する古墳とされている。
もう一つ、案内の向こう側にあったものがある。それが田子だ。
かつて田子は多湖と呼ばれ、大小無数の沼があったであろうことは以前のブログに記した。そこは鮭など様々な生物を育む楽園であったと記したが、狩猟が重要な生業であった蝦夷にとっても、そこは楽園であったはずである。
それほど古い時代に遡らなくとも、1970年まで田子から案内沢にかけては日本最大級の雁の飛来地があった。その後、国道4号バイパスの建設や、水田に農道が整備されたことで雁は飛来しなくなったが、このように私達人間の生活は、自然の環境を改変しつづけているのである。
※仙台市から消えた雁の飛来地については『雁よ渡れ』(2006.2.16、著/呉地正行、どうぶつ社)において、「福田町の悲劇」とし紹介されている。
いずれにしても、小田原丘陵の向こう側には大狩猟場があり、かつての蝦夷たちは、案内沢を目印にしながら、その狩猟場に向かったのではないか。
そして、その狩猟場は郡山遺跡付近に広がっていた大和文化の人々が生活する場所にほど近かった。そのため蝦夷と大和の緩衝地帯となり、蝦夷たちは、常にはそこで生活しておらず、鮭が遡上する秋から渡り鳥が多く飛来する冬にかけ、季節労働的に、その狩猟場に向かったのではなかったかと想像したくなるのである。
宮城県北にある伊豆沼の早朝、ガンの飛び立ち。この伊豆沼のある地域は現在でも国内屈指の雁の飛来地になっている。
全ては、案内周辺地形の特徴や史跡から想像するストーリーでしかない。それでも、そのストーリーを想像する過程で、かつてあったはずの様々な風景がありありと蘇ってくるのである。地名には、そのような力が備わっている。
さて、かつて清流の流れがあったと思われる案内沢の周囲は都市化が進んだ。この地域は仙台市中心部にほど近く、東北本線が通じるといった交通の便の良さから、割と早い時期から開発が進んだようである。現在でも東仙台の街並みには昭和の風情が残る。
そして、それゆえにこの地域は下水道の整備が不十分なままの都市化が進んだようで、案内沢が注ぐ梅田川やその支流の藤川では、都市化による水質の悪化が問題とされてきた。
この水質問題を解決するため、市民の有志の呼びかけにより、梅田川の水質浄化の試みが続けられている。「案内」の先にあるもの、それは時代の変化とともに、変わっていくようである。
梅田川浄化会による河川浄化イベント、毎年1千名に近い参加者により、河川の浄化活動が行われている。
案内の謎(3)「周囲の地形」
なぜ特別に案内を「反対側の沢」と呼んだのか、この確証作業を行う前に、まずは案内周辺の地形について、もう少し考察を深めてみたい。
この周辺の地形については「梅田川を行く 前編(河川編)編者 佐藤昭典 平成9年8月1日発行」が詳しく、そこから引用してみる。
この付近は小田原丘陵東端に位置し、後期更新世に現在の梅田川と広瀬川が一つの流れをつくり、形成された段丘である。
その地質は、表面が粘土質に覆われ、その下に礫層があり、井戸水が豊富であった。その恵みを受けたためか、『塩松勝譜』(1822年、仙台藩の儒学者 舟山万年著)では、案内の湯豆腐が名高かったと伝える。
小田原の玉田横野の名称地、その豊かな地下水は豊富の清水を生み、それら湧水を集めたのが小松島であり、安養寺池であった。
仙台市東部を流れる都市河川、梅田川を工学的・歴史的視点から考察、地域学にとって重要な視点が各所に散ればめられている。仙台市内各所の図書館で借りることができます。
先に、案内沢の水源が安養寺にある大堤沼(先に紹介した安養寺池とは別の沼)にあると記したが、この付近には人造のため池が多くある。
大部分は江戸時代以降に造成された農業用のため池と思われるが、背後の流域が限られ、それゆえに雨水を集水するには効率の悪い地形にこのような多くのため池が築かれたのは、その地にあったわき水の利用を期待しての試みであったろう。
案内沢の水源となる「大堤沼」のすぐ南側にある「与兵衛沼」、この沼から流れる沢は、沼からほぼ真南に向かい、梅田川の支流となる藤川に合流する。
「与兵衛沼」て羽根を休める白鳥、周囲が住宅地に囲まれた一角だが、このような風景も残る。
さて、この案内沢の丘陵に新興住宅地が無かった頃、さらに昔に遡り、ため池さえ築かれていなかった頃の風景を思い浮かべてみよう。
そこには山の斜面のところどころから湧き水が流れ、それが細々とした流水を作り、そして時として小さな沼を形成している。それがさらに丘陵を降って案内沢となった。その風景は以前ブログで紹介した音無の風景のようではなかったか。
当時の蝦夷は、この案内沢を目印にして小田原丘陵を下っていったのかもしれない。
「反対側の沢に来た、これを下ろう。」
などと声を交わしながら。そうだとしてもなぜ、当時の蝦夷は、案内沢とは反対の地から丘陵を登り、そして沢を下っていったのだろうか?
案内沢の水源とな大堤沼、新興住宅地の中にひっそりとある。
大堤沼から注ぐ沢、これが「案内」沢の起点となる。
案内の謎(2)「アイヌ語説と反対側の沢」
もう一つ、アイヌ語地名の大家、山田秀三も「案内」を考察している。山田によると単にアンナイをその音だけで考えるなら、
アク(矢を射る、弟、浅い)+ナイ(沢)
アム(爪、寝そべっている)+ナイ(沢)
アム(休憩する)+ナイ(沢)
アン(鷲取り小屋、我らの)+ナイ(沢)
アプ(釣り針)+ナイ(沢)
アル(反対側の)+ナイ(沢)
アッ(おひょうにれ)+ナイ(沢)
などの組み合わせが挙げられるとしている。
ただし、いずれも北海道に同類の地名が無く、これら組合の地名確証が得られなとしながらも、アンナイに比定される沢(安養寺の大堤沼を源流とし高野川となって梅田川に合流する流れ)が、泉区市名坂側から見れば、小田原丘陵を越えた向こう側にあるため、
アル(反対側の)+ナイ(沢)
がアンナイの由来ではないかとの考えを示している。
鶴ヶ谷中央公園にある「大堤」ため池、国道4号バイパス鶴ヶ谷交差点から東仙台方面に通じる4車線道路沿いにある。このため池は、案内沢の水源となる「大堤沼」と近い位置にあるが、分水嶺を挟んで北側にある。そのため池から注ぐ沢は、北側に流れ、案内沢と方向が逆である。
今でも「案内」付近はドライブの近道で、泉区方面から、かつて案内の地名のあった東仙台方面に向かうためには、このバイパスを南下するよりも南光台からの裏道を通ったほうが渋滞も少なく距離的にも近い。
これが、まさに「反対側の沢を下るルート」であり「案内=反対側の沢」は車を運転していても納得できる解だ。さらに現在では、このルート沿いにあらたな幹線道路が通じたため、「反対側の沢」はドライバーにとって、助けになるルートである。
ただしである。
案内が反対側の沢となるためには、その地名を呼んだ主体(かつて宮城県にも勢力を誇っていた蝦夷?)にとっても、反対側にあらねばならない。
そして、そもそもそのような裏道的ルートは案内ばかりでなく、ほかにもいくらでもあるはずだ。
にもかかわらず、なぜ特別に案内を「反対側の沢」と呼んだのか、その必然性を考察せねば、案内=反対側の沢を確証するには至らない。
案内の謎(1)「最南端のナイ地名」
前回紹介した仙台市宮城野区「田子」、ここから西に向かい丘陵地帯にさしかかる場所に「案内」という地名がある。もっとも度重なる住宅開発により、「案内」の地名は消えつつあるが、現在の東仙台や苦竹がある付近は、かつて案内前とか案内南などと呼ばれていた。
この案内という地名は、「内(ナイ)」というのがアイヌ語で言うところの沢(ナイ)と一致し、それゆえに「案内」もアイヌ語で解ける地名ではないかと考えられることが多い。もしそうだとするならば、案内はアイヌ語地名研究において注目されるべき地名である。
それは、現在確認されているところ、この地名がアイヌ語の内(ナイ)地名として、日本の最南端に位置するからである。
東北地方に残るアイヌ語地名は、青森県、秋田県、岩手県には多く残るが、宮城県北部の江合川以南から少なくなり、仙台市あたりまでくると、アイヌ語(らしき地名)にさえ出会えるのは、まれである。
そのような位置関係にあって、仙台市内にズバリ「内(ナイ)」地名があるわけだが、しかし、「案内」が本当にアイヌ語地名かどうかを裏づけるのは確証が無く、「内(ナイ)」はともかくとして、「案(アン)」をどう解くかが謎のまま残っている。
この「案内(アンナイ)」をどう解くべきか・・・まずは基本資料をおさらいしてみよう。
【百姓が道案内】
「宮城県地名考」(菊地勝之助)から引用してみる。
「伝える所によれば天正十八年の昔、伊達政宗が岩切城(高森城)を攻めようとした時、この地の百姓が道案内の役を務めて戦いを有利に導いたというので、爾来この地を案内と呼ぶようになったということである。」
これが一説、そして
「藩政時代に仙台を訪れる顧客をこの地に送迎して案内したのでこの名が生まれた」
をもう一つの説として紹介している。
後者の説について菊地勝之助は、この街道筋にのみに当てはまるわけではなかろうと疑問を呈している。そして金田一博士の「北奥地名考」において、案内はアイヌ語から出たものではないかとの説を紹介し、アイヌ語の解説を続け、これを支持している。
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