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田子と多湖、かつてあった自然の宝庫 


 多賀城政跡から西南3kmほどのところに、「田子」と名がつく地名がある。アイヌ語地名に興味を持った頃、この名前に注意がいった。なぜならアイヌ語地名の基本的な山地名「タップコップ(丸山型独立丘)」を由来とする地名でないのかと感じたからだ。しかし、少し調べれば、それが半知半解の思いつきでしかないことに気がつく。
 
 田子は仙台市の宮城野区にある地名であり、かつてこの地域を田子村と呼ばれていた。以下、『宮城県地名考』(著 菊地 勝之助 / 発行 宝文堂 S45.5.15)から引用してみる。(以下、引用部分「茶色」)


 安永風土記の村名由来には「当村は往古海辺にて末ヶ条各所の部え相出候通り、多湖浦に付村名に唱え来り候由、何時の頃よりか文字も書き替え通用仕候」とある。(中略)
 現在の地形は海岸を去ること約五粁にも近いが、昔はこの地から蒲生の浜にかけ湖水が多かったので、多湖の浦と称した。然るに何時の頃か、この地から奥羽分水脈の蔵王・大東・泉ヶ岳などの山々を望んだ景観は、さながら駿府国の田子浦より富士山を眺めた大観の様であったので、多湖の浦を田子浦と書き改めたと伝えている。




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 このように、かつてこのあたりにいくつもあった湖が田子の由来だとする。考えてみれば、田子の周辺にはタップコップとなりそうな丸山型独立丘など無いのだから、そもそもアイヌ語由来はありえないのであり、このあたりは七北田川の下流域で周囲には低平な地形が広がっている。



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仙台市宮城野区田子付近の七北田川


 田子のあたりから少し上流に行くと中野堰があり、これを上ると川は下流域から中流域の趣を増していく。

 もう一度、堰から直下流に目を向ける。そこには広い中瀬が広がっており、市民有志の手で鮭ふ化の取り組みが長年営まれている。上流には堰が塞がっており、砂地でもあるから、鮭の産卵には絶好の場所なのだろう。



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中野堰


 田子が多湖と呼ばれていた頃、七北田川の流れも現在と違っていたはずで、おそらくは、かつての七北田川と案内川の中間あたりに、田子が位置していたのではないだろうか。そうであれば、この低平な地形である。二つの河川が氾濫する時の置きみやげとなる後背湿地が多数あったのもうなづける。そして、その湿地は、絶景であったとのことだから、葦もそれほど茂っておらず、湿地というより、まさに湖面といった眺めであったのだろう。

 河川の氾濫は、自然生態系を定期的に再生させる。湿地に流れ着く枯れ草、落ち葉などの有機物は植物性プランクトンを涵養し、それが動物性プランクトンを培養する。そしてこれが魚類のエサとなり、多くの生き物を育むのである。これが湿地が起動する自然再生エンジンのメカニズだが、堆積していく有機物を「排気」しなければ、そのエンジンは停止するのだ。排気のない湿地は、次第に泥土で埋まっていき、湖は葦原に変わっていく。

 河川が定期的に氾濫すれば、そのような有機の堆積物がフラッシュされ「排気」される。つまり、湿地の自然再生エンジンは河川の氾濫があって、始めて、その行程を完結させるのである。



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宮城野大橋から、七北田川を遡上する鮭が眺められる。


 今回生じた東日本大震災の大津波は、多くの貴い命を奪ったが、自然の大きな循環から捉えるならば、これもまた、自然再生エンジンが繰り返すピストン運動の一行程だったのかもしれない。

 さて、このようなエンジンの営みは、この地域に多くの自然の恵みをもたらしたことは想像に難くなく、その環境は狩猟を重要な生業とする蝦夷にとって、楽園であったろう。

 現在、田子周辺には湖は見あたらない。5~6km南に降ったところに赤沼、大沼、南長沼の三つの沼が見える。このあたりは、いずれも今回震災で被害が甚大だった場所でもある。田子付近に多数あったはずの湖は七北田川の付け替えや、新田開発で順次干拓され、水田に姿を変えていった。

 現在は、その水田も順次市街化が進んでおり、最初に記した中野堰も、その堰を必要する水田は限られている。
 そのような環境の変化の中で、当時の生態系の豊かさを忍ばせるのが、田子に遡上する鮭である。川が湾曲する区間たから砂州が形成されやすく、鮭の産卵には良い環境が形成されたのかもしれない。

 このように、自然再生エンジンは、人工物の形成により随時その機能を消失していったが、今回震災では、さらに高度の機能をもった防災施設の整備が急がれている。河川堤防でいうなら堤防の嵩上げがこれに該当する。これによって、さらに人の生活圏は自然再生エンジンから敷居を隔て、分離されていくのである。

 それにしても形あるものは必ず壊れる。いくら強固なコンクリート構造物であっても、その機能が維持されるのは、どの程度の未来までなのか?よもや、自然再生産エンジンの稼働期間より長いはずはあるまい。なんといっても、こちらの半永久的の営みである。人造物と自然の営み、どっちが息切れするのが早いか遅いか、初めから勝負は見えている。

 しかし、それは、それとしても、このような人の営みは、必ずや意図せざる結果を産む。そしてそれが新しい課題を人に与え、それを解決する積み重ねそのものが人の歴史となる。我々はその道を歩み、これからも歩んでいくのであろう。


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 田子付近から仙台市の夜景を眺め、夜景手前の暗い部分には、水田が広がっている。





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カテゴリ : 蝦夷の記憶
2013-02-10(Sun) | コメント : 0 | トラックバック : 0

宮城県地名考 


 地元のアイヌ語地名を研究し始めた頃、たまたま当時の職場のすぐ近くに図書館があったので、そこに足繁く通った時期がある。

 初めは市町村誌を中心にしながら各地の地名の由来などを調べていたが、そのうち、地名だけを調べた専門文献が書棚にあるのに気がついた。それが『宮城県地名考』で、中身を読むと、まさに宮城の地名辞典であり、アイヌ語地名研究をするうえで大変重宝したものだ。
 
 この、『宮城県地名考』だが、地元仙台市の文芸社『宝文堂』(現在は廃業)から昭和45年に発行されている。著者は元宮城県図書館長の菊地勝之助で、40年間に渡り、宮城県内の地名研究に打ち込んだとある。

 目次を見れば、県内各市町村の大字クラスの地名までが網羅され、それら地名の由来が考察されている。このような地名考察の成果は、著者の長年の成果に加え、この分野に関わった偉人達の成果でもある。

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 各地の地名考には、様々な既存の文献からの地名考が記されているが、以下にそれら参考文献とその著者を紹介してみる。



『安永風土記』
 著/仙台藩の儒者田辺希元

『奥羽観跡聞老志』
 著/佐久間 洞巖(さくま どうがん/1653~1736)/先祖代々、仙台・伊達氏に仕えた儒者であり、享保年間に仙台藩の国史編修を命ぜられ『先世年譜実録』などの編纂に関わる。また元禄年間に発見された多賀城碑を写し取り墨本を公刊し、城碑の保存を藩主伊達吉村に要請した。

『封内風土記』
著/仙台藩の儒学者田辺希文。1772年完成で、仙台領内の全村について地形・人文地理に関わる事項を列挙・解説した。

『塩松勝譜』
 著/仙台藩の儒学者

『奥羽古史考証』
 著/藤原相之助/慶応3年に生まれ、『仙台戊辰史』を執筆、後に河北新報社主筆を執る。

『大日本地名辞典』
 著/吉田 東伍(1864~1918)/新潟県出身の歴史地理学者であり、従軍記者となった日清戦争で、日本の地名変遷史の研究が無いことに気付き、大著『大日本地名辞書』を完成した。

『地名の研究』
 著/柳田 國男(1875~1962年)いわずと知れた民俗学者の権威、日本人の根元を探求しながら日本における民俗学を開拓した。

『日本地理帖』
 著/小川 琢治(1870~1941年)和歌山県出身の地質、地理学者。

『復軒雑纂』
 著/大槻 文彦(1847~1928年)江戸出身、儒学者・大槻磐渓の三男で国語学者、幕末に仙台藩の密偵として鳥羽・伏見の戦いに参戦、日本初の近代的国語辞典『言海』を編纂、教育勅語が発布された際にいち早く文法の誤りを指摘した。

『アイヌ語研究』
 著/金田一 京助(1882~1971年)岩手県出身の言語学者、民俗学者。アイヌ語の研究の大家。

『開拓と地名』
 著/山口弥一郎(1902~2000)福島県会津出身、磐城高等女学校教諭として奉職しながら東北の村々の調査を展開した。

『駅名の起源』
 著/知里 真志保(1909~1961年)北海道登別市出身、アイヌ言語学者、金田一京助を師とし、アイヌ語地名研究者の山田秀三とも共同しながら、アイヌ語学的に厳密な解釈を徹底させたアイヌ語地名の研究を進めた。またアイヌ語の方言学の基礎を築き、「アイヌ学」という一つの学問を築き上げた。



 いかがであろうか、『宮城県地名考』には、かくもそうそうたる偉人たちの長き道筋の先に編纂されたものなのであり、そして地名とは、これだけ長きに渡り、人々の興味を引きつけ、そして研究されてきたのである。

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2013-02-05(Tue) | コメント : 0 | トラックバック : 0

『岩手のアイヌ語地名』 


 アイヌの昔話紹介の記事では川を舞台にした昔話が多いと紹介した。つまりそれだけアイヌの生活が川と密着していたことが裏づけられたのだが、実際、北海道の地名総数の2割が「ナイ(川)」地名である。

iwateainubook.jpg これは東北地方におけるアイヌ語地名も同様であり、特に岩手県でその傾向が強い。今回紹介する『岩手のアイヌ語地名』(小島俊一 著/H9.1.21岩手日報社発行)では、岩手には66ヶ所のナイ地名があり、北奥三県(青森、岩手、秋田)で数えられるうちの44%に及ぶとしている。

 この『岩手のアイヌ語地名』は東北のアイヌ語地名を調べた既存文献の中では随一のもので、岩手を中心に、東北全体のベツ(川)地名、ウシ(~処)地名、マイ(~有る所)地名を解説している。そして、それら地名が本当にアイヌ語であるかどうかについて、両論を併記しながら検証しており、内容のバランスが取れている。
 アイヌ語地名の研究分野では、大胆ずきる解釈に走る文献に目にすることもあるが、この書籍にはそのような危うさが無く、東北のアイヌ語地名を研究する者にとって良いテキストとなる。

 アイヌ語地名に関する既存の文献で最も信頼がおけるものとして山田秀三が著した「アイヌ語地名」シリーズであるが、彼の成果が優れているのは、地名を解く際に、言語解釈だけによらず、それら土地を丹念に歩き回り、そして地形の特徴を検証したうえでアイヌ語地名を解いていったことにある。
 アイヌ語地名が、その土地々の地形を説明したものであるため、地形からも地名を検証することが可能だったわけだが、山田秀三自身が鉱山官庁の官吏だったので、地名を読みとる専門的視野を有していた。言語解釈、地形条件といった、なんらかの複数要素から対象を眺めることで、真実の程度が検証できる。これは、測量で言うところの閉合差と良く似た考えである。

 しかし、これだけ綿密な調査検証を行うわけであるから、東北のアイヌ語地名について、全て検証するというわけにはいかなかったようだ。これを補完する意味でも『岩手のアイヌ語地名』は重要な成果と言える。

 この著書では、オサナイ、トヨマナイ、タッコウなどお馴染みのアイヌ語地名についても一つ々、ほんとうにそれがアイヌ語なのかどうかを検証し、そして金田一京助、知里真志保、山田秀三といった巨匠の各論を併記しながら、より精細な解を求めている。

 もう少し内容を紹介してみる。

「余り簡潔な語形で、どうにでもとれ、決定的な解がない」

 と金田一京助が、その解の困難さを教えたのが、岩手県北部から青森県八戸市に注ぐ馬淵川(マベチ)である。語尾「ベチ」だから、これがアイヌ語の「ベッ=川(ナイより大きな川)」であろうことは直感的に理解できる。しかし、マベチの「マ」をどう解くかが難敵となった。この「マ」人文字の解釈を巡り地元の方言や歴史が考察され、金田一京助や知里真志による解を再確認し、北海道の類似地名からも類推してみる。

 そして地形を検証するわけだが、馬淵川は県をまたいで流れる一級河川であり、その様相も場所々により異なるのだ。しかしながら、下流、中流、上流、それぞれの場所で、それぞれの「マ」の解釈が可能だから、アイヌ語解は手に負えなくなる。

 結局、これといった決定打が無いまま検証は終わるが、これで良いのであろう。一筋縄で解けるはずがないものを無理に解く必要などない。そこに謎が残っているからこそ、後に続く者も出てくるのである。




 
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2013-02-02(Sat) | コメント : 0 | トラックバック : 0
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