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音無の地名の由来「音無周辺の古墳と38度線」 

 音無の地名の由来「日本各地の音無伝説」 から

 音無のある大崎市三本木は、鳴瀬川により南北に分断される。北部は大崎平野の低平地にあるが、南部には丘陵地が広がる。この南部の丘陵地帯にも水田はあるが、それは丘陵に挟まれた隘路となって南側に連なっていく。音無は、この隘路の奥にある。

 この鳴瀬川の南部丘陵地帯一帯には、いくつかの遺跡がある。

 音無のある隘路の奥から、再び北側に戻り鳴瀬川にぶつかる。ここが隘路の入り口となるが、その東側の丘陵を眺めれば「山畑横穴古墳群」がある。日本北限域の装飾横穴と呼ばれ、古墳時代後期から奈良時代のものと推定される古墳だ。



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山畑横穴古墳群

 見物はこちらから「大崎市三本木ふるさと研修センター」



 今度は隘路の入り口から西側の丘陵を眺めてみる。この丘陵のさらに西方に「念南寺古墳群」がある。この古墳は古墳時代中期に築造されたものとされ、前方後円墳としてはやはり北限の古墳と言って良い。その規模から類推して、この古墳は相応の地位にあった地方首長級のものと考えられるが、それが誰であったかは、今となれば知るすべがない。
 この古墳のある丘陵からは大崎平野を一望することができる。当時の首長はこの丘陵からどんな風景を眺めていたのであろうか?



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念南寺古墳から出土した石棺




大きな地図で見る




 再び隘路の奥にある音無に目を戻す。ここから西側の丘陵を眺めると、そこに「日の出山瓦窯跡」がある。これは奈良時代前半における陸奥国最大の官窯で、多賀城や大崎地域の城柵、官衙、寺院などに多くの瓦を供給した。



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日の出山瓦窯跡から出土した瓦

 見物はこちらから「愛宕山農業伝習館」




 このように音無周辺の丘陵には古墳時代から奈良時代にかけての遺跡が多いが、この時代、宮城県北部では大和と蝦夷の勢力が対峙した。

 現在、北緯38度線といえば、朝鮮半島を南北に分割する境界線が連想されるが、この緯度を日本側にシフトすれば、そこは宮城県南部になる。北緯38度が39度に切り替わるのは岩手県の平泉付近となるが、ここは奥州平泉文化が栄えた地だ。

 この北緯38度から39度までの間は、大和と蝦夷の争いが繰り広げられたラインとおおよそ重なってくる。
蝦夷進出総司令部の趣が強い多賀城、その多賀城を一時陥落させた伊治呰麻呂が拠点とした伊治城、駅も蝦夷反乱の首領アテルイは39度線より少し北側に覇を極めたが、その後の前九年の役・後三年の役とも、その多くはこの北緯38~39度の区間が舞台となる。

参)多賀城と蝦夷

 39度線にあたる平泉では奥州藤原文化が栄えたが、この体制は蝦夷の伝統を少なからず引き継ぐ。そして東北蝦夷、最後の歴史とも言われる。



 音無の地名の由来「宮城県のアイヌ語地名の分布」に続く



 

音無の地名の由来「日本各地の音無伝説」  


 音無の地名の由来「水の音なし」から

 三本木町誌(1966年三本木町誌編纂委員会)では音無に伝わる民話を紹介している。これを要約して以下に紹介してみる。

 この伝説によると、弘法大師が諸国御巡錫の際、音無の湯殿山神社を訪れ、御神水を飲んだという。そし湯殿山神社の御神水の信仰が深まった。
 またいつの頃からかお社に巨大な藤の蔓が絡まり、秋になると実が実り、その実を包む堅い皮が二枚に割れる。その音が美しく「権現様が藤の実を割って聞かせて下さるのである。」と信じ、その音は頭痛の痛みを取り去ると信じられた。


 この藤の実が割れ響く音、これも「音成し」の由来につながりそうだが、そこまでの話は伝えられていない。

 前回記事では、大崎市三本木の「音無」の地名由来について「熊野由来説」を紹介したが、熊野の音無とはどういった地であるのか調べてみたい。宮城県から和歌山県熊野、ちょっとドライブで訪れる、というわけにはいかないが、幸いにして、インターネットの発達した現在である。家に居ながらにして、ある程度は熊野の「音無」を調べることができる。


 和歌山県熊野には音無川(おとなしがわ)がある。この川と熊野川の合流部付近に熊野本宮大社があるが、この大社は全国に散在する熊野神社の総本宮である。現在は高台にあるが、明治中頃まで合流部の中洲に鎮座していた。
 かつて中洲にあった本宮に詣でるためには、鞋を濡らし、身と心を清めながら渡河しなければならなかったという(「濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂」)。この熊野詣といえばその名が連想されるほど、音無川は名を知られた川であった。

(参:要約)み熊野ねっと>熊野の歌

 ここで紹介した熊野神社の「濡藁沓の入堂」と同じようなしきたりが大崎市三本木の湯殿山神社にもある。三本木の湯殿山神社が山形出羽三山に由来することは以前紹介したが、このような熊野神社しきたりを知れば、熊野神社との縁が強く感じられてくる。

 熊野の「音無」、この地名にどのような由来があるのかネットで検索したが、これといったものには出会えなかった。ただし先にも紹介したとおり、熊野の音無川はかなり名の知れた地であったらしく、いくつかの和歌に登場してくる。これについては、先の「み熊野ねっと>熊野の歌」を参照されたいが、和歌の中で「音無」は「川の音無し」あるいは「滝の音無し」としてうたわれている。これらはいずれも掛詞であるから、それを持って地名の由来にできないが、「音がない」との地名が、様々な思いを人々の心に投影させる様が伺える。
 
 ネットで検索すれば「音無」という地名が、全国各地にあることがわかる。かいつまんで紹介してみると・・・


(鎌倉の音無川)
「鎌倉志」「風土記稿」によれば源流に音無滝があり、砂山のために常に水声がないために名付けられた。
引用)Sakha Republic

と紹介している。(ただし引用元のブログ著者はこれに疑問を呈しているが。)

 石川県能登町にも音無川があり、以下の民話を伝えている。


(石川県の音無川)
 昔々、羽根を怪我した鷹がこの水で傷を癒しているのを旅の僧が見つけたそうです。この鷹を見た僧はとてもこの水を気に入りゴクゴクと飲んでいたのですが、どうもこの水には傷を治す効果がある様子。さっそく地元の浮腫で悩んでいた老婆にこの水を勧めてみたところ、なんと翌日の朝には腫れがひいていたそうです。それ以来、この清流の沸かした水を飲むと浮腫が治るといわれているそうです。
引用)伝承の大国・能登

 この民話と、冒頭に介した三本木音無の民話には「水を飲む」、「治癒」といった部分で共通項が感じられ、興味深い。
 もう少し、全国各地の「音無」を紹介してみる。


(東京の音無川)
 東京に日暮里には音無川があり、江戸百景にも描かれ、現在でも桜の名所として「音無親水公園」として都民に親しまれている。ここの音無は八代将軍徳川吉宗の出身地紀州の音無川から名前を採ったと伝えられている。
参考)写真とパピオン大好き

(長野県の音無川)
 信玄は、主な家来を集めて、作戦会議をした。ところが、作戦はなかなかまとまらなかった。そこはそばを流れている川の瀬音と滝の音がザアザアとうるさかった。そのせいで作戦がまとまらないと思った信玄は、川にむかって「うるさい、しずまれ」と雷のような大声でひと声どなりつけた。すると川の瀬音が、ピタッとやんで、作戦がまとまり、川中島へ進軍した。
引用)音無川(茅野市) ('07信州キャンペーン 【信州・風林火山】史跡ガイド)

 ざっと全国の音無地名とその由来について紹介してみた。たぶん、これ以外にも、多くの「音無」があるだろう。ちなみに、宮城県の音無については「宮城県地名考」で紹介されており、本ブログで紹介している大崎市三本木の音無以外にも以下の音無地名がある。


柴田郡川崎町支倉 音無並びに上音無・中音無・音無裏・音無山などの小字名がある。
名取市熊野堂に音無川
栗原郡花山村に音無山・音無滝
宮城郡松島町根廻にも音無という字名がある。

何れも山たたずまいや流れの状態は共通点を持っている。


引用)「宮城県地名考 菊地勝之助著 S45.5. 15 宝文堂 発行」


(追記)
 上で紹介した文献は、宮城県内の主な地名の由来について編纂した地名辞典である。この文献では、冒頭で紹介した三本木町誌で掲載する地名由来についても要約して紹介しており、他の市町村誌についても同様である。いわば「宮城県地名考」は県内市町村誌に記される地名由来の集大成版といったところであろうか?

 昭和45年発行と古い文献であり、内容も玉石混合と批判されることがあるが、現在のところ、これを越える県内地名辞典は出版されていない。
 また三本木町誌だが、こちらは新版が発刊されているものの、残念なことに地域に伝わる民話や地名の考察など、まさにそこで生活してきた者しか知り得ないかった情報が省略されている。このため、今回記事では、旧版から引用となった。
 ネット時代にあって、必要な情報を得るためには、ネットの検索で事足りるようになってきた。結果として既存ペーパー書籍の立ち位置が不安定化しているが、一方で地域の言い伝えや民話など、ネットではカバーできないペーパー書籍については重要性を増している。

 その意味で「宮城県地名考」の成果は、ネット時代となり、むしろ重要性を増していくのではあるまいか?ちなみに、本ブログ著書は、この「宮城県地名考」を何度か図書館に足を運び閲覧していたが、ついに思いあまって購入した。とは言っても絶版書籍であり通常の書店では売ってないから、古本屋で探して購入したわけだが、今さらながらアマゾンドットコムで通販していたことに気が付いた。

 こようなネットの発展は、一般に叫ばれるグローバリズムによる地域経済の破壊といった側面よりも、むしろ今まで手が届き難かった地域文化をより広い世界に解放するための力になる、といった側面が強いのではないか?これは地方在住者にとって歓迎すべき現象であると感じている。



 音無の地名の由来「音無周辺の古墳と38度線」に続く



 

音無の地名の由来「水の音なし」 


 音無の地名の由来「風の音なし」から

 前回記事では、「風の音無し」とし、「音無」の地名を「風」に求めた。しかしながら、地元では「水の音無し」として「音無」の地名が伝えられているようである。今度は、三本木町誌(1966年三本木町誌編纂委員会)に記されている「水の音無」について紹介してみる。

(熊野由来説)
 西国の音無の地の住人である一人の行者が諸国修行中たまたまこの地を訪ね、西国の音無の里(和歌山県熊野)にその地形がよく似ていると共感し、音無の名が生まれたという。

確かに音無という地名は和歌山県熊野にある。これについては、後で紹介する。

(川の音無し説)
湯殿山神社の鎮座する山中の谷川を始め、山間から流れ出る細流も、その流れが極めてゆるやかで、(中略)これらの流れの状態も音無の地名を生んだ一つの起因と見られる。

つまり川の音が無いから、音無とする説である。

上記、二つの説を紹介したが、熊野由来説は、その熊野の「音無」自体が川の音無し説で名付けられた可能性もあり、それゆえこれら二つの説は互いに相反するものではない。

 それでは、実際の音無の地形はどうであろうか?
 これを考察するためには、まずは三本木の「大字音無」、この決して狭くない土地のどこが音無の発祥の地であったのか比定する必要がある。しかしながら、現在、「大字」音無に、小字としての「音無」が見あたらない。ゆえに、音無発祥の地は比定できないが、仮に湯殿山神社のある細流が音無だとすれば、確かにこの細流は静寂である。湯殿山神社の細流は鳥居の外を出てすぐに、荒川堰という農業用の幹線用水路に注ぎ、その流れを終わらせる。

 この荒川堰は、鳴瀬川支流の保野川から水を取り入れ、色麻町の扇状地を潤している。本ブログでも紹介するライスフィールドの水田もこの堰の恵みを受ける。荒川堰は比較的起伏の大きい地形を貫流するが、色麻町を過ぎ、三本木の音無に至る頃には、一層、その起伏を大きくする。

 地図で眺めれば、音無付近の荒川堰が鋸の歯のようにギザギザに路線を変化させていることがわかる。これは、水の流れを保つために、山の同等高線沿いに流水を導いたためであろう。本来であれば等高線と直角となるはずの水の流れが、平行して流れている。さらに付け加えれば、この流れは幾多の隧道をくぐり抜ける。


湯殿山神社付、ギザギザの荒川堰

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 堰が灌漑するのは鳴瀬川右岸の大崎市三本木音無や大崎市松山伊場野の水田である。この地域の水田は、そのすぐ背後に分水嶺が控え流域に乏しい。そのような水田に水を灌漑するため、堰は地形の起伏が大きく、水を流すには自然の摂理に反した路線を採らざる得なかったのであろう。

 少し、荒川堰の話が長くなったが、おおよそ音無の地形の特徴が浮き彫りになったかと思う。現在でも、音無付近に川というほどの流れが無い。これはそもそもの流域(川の水源となる地域で、おおよそ川の流量はこの面積に比例する。)が少ないためである。この荒川堰が築かれたのは、江戸初期の頃である。

 それでは、現在でこそ、荒川堰に吸収される湯殿山神社の細流だが、堰が築かれる以前、細流はどのような流をもって、下流に流れていたのであろうか?

 現在、細流は荒川堰と合流する。その向こうには、数メートルの段差が生じた地形がある。とすれば堰が出来る以前、細流は堰に合流せず、その段差に至り水を落下させていたことになる。たぶん、小さな滝があったのではないか?

 果たして、その滝が「音を成していた」のか、あるいは「音が無かった」のかは、今では知る由もないが・・・



色麻町大村付近の荒川堰と薬莱山の眺め
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 音無の地名の由来「日本各地の音無伝説」 に続く







 

音無の地名の由来「風の音なし」 


 音無湯殿山神社(その3)から

 東北自動車道を仙台から北に向かう。大和町付近でようやく低平地に出会い、車窓から眺める風景が遠くに開ける。しかし、その風景はすぐ終わり、再び丘陵を削って通した路線が続く。車窓からは里山の木々が眺められるが、しばしばコンクリートの擁壁に視界が遮られる。道路は緩いカーブとのんびりしたアップダウンが続くが、三本木パーキングを過ぎれば水田が広がる大崎平野が圧倒的なスケールで視界に迫ってくる。

 東北自動車道から眺める大崎平野の風景は、人により、あるいは季節により違った印象を抱かせる。


 「田植えの進捗率、3割」


 ゴールデンウィークは水稲農家にとって一大イベントとなる田植え時期である。限られた日数で農作業を行わねばならない兼業農家にとって、ゴールデンウィークは貴重な農作業日である。この期間に人手のかかる田植えを完了させねばならない。

 広大なマス目が広がる大崎平野、一枚の水田で田植えが終われば、一つのマス目が塗りつぶされる。そしてゴールデンウィークが進む毎に、塗りつぶされるマス目は増えていき、モザイク模様が広がっていく。この風景が田植えの進捗率を教えてくれる。

 もっとも最近は専業農家に田植え作業を委託する兼業農家が増えた。そのため、以前に比べ、塗りつぶされるマス目の広がりが緩慢である。農業政策の変化が、眺める風景にも変化を与えていく。

 これは、稲刈時も同じであり、それは地元民にとっての風景でもある。しかし他県から来た人間には、また別の印象を持って大崎の風景が捉えられている。


 「圧倒的スケールだ、すごい!始めての風景だ!」


 ひたすら水田が広がる、ただそれだけの風景。地元民にとっては退屈にさえ感じられるのだが、訪問者にとって、それは驚きと感動を与える風景のようである。そして


 「もっと、この風景をPRしたら?絶対インパクトのある観光資源になるよ。」


と、アドバイスまでしてくる。自らの価値、常にそれは他から教えられるものなのかもしれない。


「『鳴瀬』はね、田んぼが広がってるでしょ。だから風が強くてね。特に春一番はゴーゴー響いてくる。だから風が『なるせ』なの」


 大崎平野の西端、加美町でも特に低平地にあるのが鳴瀬地区である。そこの住人が鳴瀬の地名の由来を教えてくれた。

 平成22年の秋、高空にある比重の大きな空気塊が一気に墜落した。突然の出来事だった。このダウンバーストにより、稲刈り直前の稲が倒伏した。この被害が大きかったのも、鳴瀬地区付近だったろうか。


「でもね、鳴瀬から車で10分もいくと『音無』があるでしょ。山の尾根に囲まれてるから風が吹かない。だから風の『おとなし』なんだって。」


 音無の地名の由来はいくつかある。ただし、風の音がしないから「音無」、この説は鳴瀬の人から聞いたのみである。鳴瀬では、風の音がふるさとの風景と一体となっている。だから他の地にも、その風景の有無を確認しているのかもしれない。

 地名の由来には様々な説がある。どれがホントでどれが後付けなのかはわからない。ただ、一つ言えることは、その由来が例えホントであろうと後付けであろうと、そこには地域の風土や歴史が投影されている。だから音無の地名の真実にたどり着けなくとも、その過程で様々な出会いがあるだろう。



鳴瀬川対岸から眺める鳴瀬集落
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 音無の地名の由来「水の音なし」に続く


 

地名は何にも言わないけれど・・・ 

色麻町の自然派レストラン「ライスフィールド」よりお知らせです。

 こんにちは、ライスフィールドのマスターです。

 道路を車で走っていると、道路看板に「色麻町↑」、「加美町←」とか出てきます。
 この地名の中に、実は様々な地域の自然や歴史が秘められていることがあります。

 今回紹介する本では、宮城県内の地名をピックアップし、その地名に秘められた災害の記録を解き明かしていきます。







 

「災害・崩壊地名」
太宰幸子 編著





 「阿久戸(あくと)」、「小豆坂(あずきざか)」、「荒砥沢(あらとざわ)」・・・

すべて、その地域の自然や災害の情報を記録した地名です。

 個人的に興味があったのが「耳取(みみとり)」
 この地名は奈良時代、宮城県北地方に最初に置かれた郡「丹取」の誤記である、など様々に解釈されてきましたが、「災害・崩壊地名」を読めば、この地名の解が出てきます。

 地名の意味がわかれぱ、訪れた地域の自然が別の風景に見えてきますね。

 「災害・崩壊地名」1冊、600円、ライスフィールドで販売しています。

 ライスフィールドまで来る機会は無いけど、この本がほしい!
 といった方には、 お米とセットで送付することも可能ですから、その際は是非、ご相談下さい!

 




            

本ブログで紹介した書籍は
「ライスフィールド・ライブラリー」にも置いてます。
一読されたい方は気軽にお声がけください。

            




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