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日常と非日常、機動力の発揮について 

「戸締まりなんかいらない!とにかくすぐ逃げろ!」

 地震直後、このブログで紹介している爺さんが加工場の従業員を叱責した言葉です。

 この爺さんの叱責で、従業員は背後の山に退避でき、全員無事でいられました。
 緊急時、日常から非日常に頭を切り換えるのが大切であるのは、当たり前のことではありますが、なかなか頭が切り換わらないのも事実のようです。
 
 私ごとですが、地震直後から経験したことを、少しずつワープロに記録しています。地震直後の自分の心理を思い起こせば、まずは当日の業務ケジュールが頭に浮かび、次に明日の仕事の段取りに気が取られておりました。既に非常時が始まっていたのにかかわらず、いまだ頭の中は日常の慣性を引きずっていたことに気がつかされます。

 それを考えれば、爺さんの叱責は、非日常が始まったことを従業員に認識させるために適切な行為でした。

 この爺さんが叱責している頃、同じ石巻市の魚町で、私が昔、お世話になった知人も津波に襲われつつありました。

 この知人はいくつか教訓になる体験をしていましたので、ちょっとだけ紹介させていただきます。

 知人は会議中に地震に襲われました。そして地震が収まった後、会議を続行するか、それとも机を片付けるべきか皆で相談していたとのことですから、私と同じように地震直後も日常を引きずっていたようです。ただし深刻だったのは、知人のいた場所が海のすぐ目前であったこと。

 幸いにして、誰かの携帯に大津波緊急警報が入り、すぐに数人で車に乗って退避したので無事だったのですが、道路に出たら街の車が一斉に退避を始めたので大渋滞、仕方なく途中から車を捨てて山に逃げたとのことでした。
 
 その後、2日間、知人は何も食べず、さらにその後の10日間は一日に小さいおにぎり一個だけの生活が続いたとのことですから、大変な思いをされたと思います。

 震災後、いろいろな話を聞きましたが、車で逃げるか、それとも車を捨てて逃げるか、この判断の違いが生死を分けた場面も多かったようです。
 なんと言っても、個人にとって車は大切な財産ですから、おいそれと捨てる気持ちになりません。日常を引きずっている限り、なかなか車を捨てる決断はできないでしょう。それに渋滞したり、何らかの理由で道路が塞がれていない限り、車のほうが人の足より迅速に移動できますから、車を捨てる捨てないは、大変難しい判断になると思います。

 一つ言えるのは、今回の津波は想定外の大津波とは言え、人の生死を左右するほどの浸水域は海岸から2~3km程度の範囲でした。この距離は人の足で歩いても30~60分ほどです。そして今回は地震が起きてから津波が来るまで30~60分程度の時間がかかりましたから、地震が起きて、すでに歩いて退避すれば安全域に逃れられる計算にはなります。

 ただし、これは机上の計算であり、いざ事が起きて退避するためには「機動力」が問われてきます。

 「機動力」と言うと、移動する早さを連想する人が多いようですが、それだけでなく、私自身は「適切な判断力」、「情報力」、「移動力」、これらの総和が機動力だと考えています。

 ここで、いまいちど爺さんの体験と知人の体験を思い出し、機動力(適切な判断力、情報力、移動力)との関係を整理してみます。

 ・日常から非日常に頭が切り替わる→ 適切な判断力
 ・携帯に大津波緊急警報が流れる → 情報力
 ・車で退避 → 移動力
 ・車を捨てる → 適切な判断力
 
 それぞれの場面で、機動力の要素が問われていることがわかります。
  
 このように、津波から迅速に退避するためには機動力が問われるわけですが、それが効果的に発揮されるためには、退避する人各々が持つ「適切な判断力」、「情報力」、「移動力」を認識し(過大にも過小にも評価せず)、その力が連関しながら効果的に機動力につながるよう行動することが重要になります。

 もう一つ付け加えれば、自分の現在地がどこにあり、そしてどのルートを通れば効果的に退避できるのか、といった課題もあります。このためには地図でルートを確認する必要がありますが、常日頃、いつも地図を持って歩くわけにはいきません。それに地図があったところで、退避する途中で自分の現在地が不明になれば、せっかくの地図も役に立たなくなります。

 ちなみに、最近では携帯電話でグーグルマップが使え、そしてこのマップでは自分の現在地も表示されます。いわば携帯電話でナビゲーションが出来るわけですが、これは緊急時にも役に立ちそうです。なので常日頃から携帯のグーグルマップを使いこなすことも、津波の備えとして大切な準備になるでしょう。

 さて、先に紹介した、私がお世話になった知人について、もう一つ別の話題がありましたので、次の記事で紹介

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急がれるのは、「急いで逃げる」体制づくり 

 この度の災害を受け、管総理は「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いの水産業(会社)、漁港まで 通勤する」と構想しいるようです。

 しかし、繰り返しになりますが、今回の災害は千年に一度といわれる災害です。と言うことは、もしかしたら今後千年は、これほどの津波は来ないのかもしれません(注)。それまでの間、つまり一千年の間、海岸沿いは危ないという意識を持ち続けることができなければ、一時は海岸沿いに街をつくらずとも、喉元過ぎればなんとかで、再び海岸沿いに街がつくられることになるでしょう。

 それよりも、まず急がれるのは、

 「津波が来たら、急いで逃げる」

 この体制作りにあると感じています。

 単純に確立論的に予想するならば、今後、千年に一度の地震が懸念されるのは、それが既に発生した地域でなく、まだ発生していない地域になるでしょう。
 そういった地域では、海沿いの街でそのまま日常生活が営まれており、いまさら「山を削って高台に住む」ことなど、なかなかできることではないでしょう。

 今回、津波の教訓を記すのは、そういったまだ被害を受けていない地域に対し、津波の教訓を伝えることが大きな目的となります。

 さて、津波は地震と違い、その前兆(地震)が確実にあるのが特徴です。そのため、不意に訪れる地震と違い、津波到来まである程度の時間的猶予を得ることができます。この時間が「急いで逃げる」ための貴重なライフタイムとなります。

 地域によって異なりますが、今回の津波では地震発生から津波の襲来まで、30分程度の時間がありました。体力により異なるでしょうが30分もあれば、車を使わずとも2~3kmは移動できるはずです。そこまで移動できれば、だいたいは、安全域に脱出できたでしょう。

 それでも、なぜ多くの人が逃げ遅れたのでしょうか?

 いろいろ話を聞いてみると、以下のような原因があったようです。

 ・貴重品を取りに行くため、家(被災地)に戻った。
 ・職場の確認のため職場に戻った。
 ・家にいる家族(特に子供や老人)が心配で家(被災地)に戻った。
 ・たった2~3kmとは言え、老人や身障者が移動するのは困難である。
 ・車の渋滞にはまって逃げ遅れた
 ・あれだけの津波が来ると思わず逃げなかった。


 岩手県の三陸沿岸では「津波が来たら、肉親に構わず、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」という「津波てんでんこ」の教訓が伝えられており、今回の災害でも、この教訓により多くの人達が命を救われました。

 「肉親に構わず、てんでんばらばらに逃げろ!」

 このため、これが、津波から逃げるための大原則にはなりますが、とは言っても、多くの人は肉親を助けながら津波から逃れたいと思うでしょう。

 「てんでんこ」の教訓は、明治三陸地震の頃から称えられ始め、昭和三陸地震で実践されたと伝えられています。一方で、その頃から時代は変わり、現在ではラジオはもとより、自家用車も、携帯電話も普及しました。

 これらツールを効果的に使うことができれば、現代版「てんでこ」はより多くの人達を救うことができるはずです。



(注)3.11地震と相似形とされる地震に、貞観地震、スマトラ島沖地震の二つがあげられます。スマトラ島沖地震では、発生から4ヶ月後に、再び大きな余震がありましたし、その後も、巨大地震が頻発しています。このため、今回の3.11地震でも4ヶ月程度後に、大きな余震があるのでは?と懸念する声が聞こえています。
 その一方で、今後、さらなる歴史的検証を行う必要があるにしても、貞観地震では、その後大きな余震があったとの記録が見あたりません。
 このように、3.11の地震に相似する二つの地震には、その後の地震について、異なる特徴を持っているようですが、いずれにしても、今後、巨大余震が発生するかどうかは予想し難いものであり、まずは「そもそも地震の予知など不可能なのだ」と謙虚な気持ちを持ち、そして「予知できない」ことを前提にしながら、防災対策を考えることが重要であると感じています。


 

想定外の災害を想定内とするための教訓 


 今回の震災は貞観地震以降の千年の一度の規模と言われ、まさかこのような巨大な津波が街を襲ってくるなどとは多くの人達にとって想像できない出来事でした。

 確かに仙台には「国道4号線から東側の仙台平野付近はもともと海だったが、大津波が来て陸地になった」との大津波伝説が伝えられています。しかしそれは、だいたいの場合、おとぎ話の次元でしか受け取られず、それにリアリティーを感じていた人は、ほとんどいなかったと思います。

 そのような津波伝説よりも、千年というスパンから考えれば、極々最近の出来事「チリ津波では大丈夫だった」が行動判断となり、結果として津波から逃げ遅れ、犠牲になった人が多くいたように思います。

 岩手県沿岸では、地域で語り継がれる三陸津波の経験を活かし、無事に津波を逃げ切った人達の話を各種報道で耳にしますし、津波とは別の災害となりますが、東北北部では180年ほど前の天保天明の飢饉が、まだまだ語り継がれていますから(私が子供の頃の印象ですが)、そのくらいのスパンであれば、世代を越えて災害の記憶が語り継がれるようです。

 しかし、千年たったら?

 仙台平野は1千年ほど前の貞観津波で被災した史実があり、私自身も、そのような歴史上の災害知識だけは持っていました。 もっとも、その知識はまるでリアル感の無い、おとぎ話の出来事のようで、それがそのまま防災意識に結びかつかなかったことも事実です。

 今まさにリアルに貞観津波が再現されたわけですが、今さらながら「なぜ貞観津波を意識しなかった?」と言う識者も多いようです。しかし、そうような識者に対しては

「それではあなたは『貞観津波』の史実をいつ知ったのですか?」

と問いたくなります。

 一方で、地域の歴史家には、この貞観津波を研究して、大津波の再来を指摘した人がいました。そして専門家の間でも、この津波をシュミレーションし、防災計画に反映させる動きがあったようですが、その矢先の災害となりました。

 膨大な予算を伴う行政の防災計画は、始めに学者などの議論があり・・・
 そこから定説が生まれ、そして専門家が具体的な計画を策定し・・・
 それを行政に反映させるため、さらにまた審議会などで議論して、財務省に予算を要求して・・・
 そしてやっと獲得した予算で数十年単位で、防災施設を少しずつ整備していく・・・

といった流で行われます。

 つまり、相当長期の時間が必要となるわけですが、しかし災害は待ってはくれません。
 
 そのような中で自己防衛していくためには、地域の歴史家の話に耳を向け、それを「おとぎ話」として受け取るのではなく、リアルな生活の知識として活かしていくことが大切であるように感じています。


 

はじめに 

 2011年(平成23年)3月11日 14:46発生の東日本大震災は巨大津波を生じせしめ、東日本大平洋沿岸地域に甚大に被害をもたらしました。

 本ブログでは、全国の賛同者から協力を受け、微力ながらも被災地(石巻市方面)への物資支援を続けておりますが、その過程で、あるいはそれ以外の様々な場面で、被害者から生々しい体験談を聞かせていただいております。

 このような体験談は、それを経験した人達にとって誠にデリケートなものであり、それをそのまま第三者に伝えるには、はばかられる思いがありますが、一方で、災害にあたっての数々の教訓も秘められています。

 このため、この被災地での体験談から他に伝えるべき教訓を抽出し、伝えていこうと考えました。そうすることで、デリケートな体験談はオブラートに包まれますし、そしてまた、このブログを通じてたくさんの支援物資を提供いただきました多くの方々に対しも「教訓」というお返しが用意できると考えました。

 とは言え、この教訓は私の限られた体験、限られた伝聞で編修することになります。果たしてどの程度、人様のお役に立てるか自信がありませんが、もてる時間と知識を駆使し、できる限りの能力で教訓を綴っていこうと思います。

 
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